大きくて広い奈良の東大寺を効率良く観光するために、東大寺の見どころを5か所に絞って見学する順番にご紹介しようと思います。後半では東大寺のおみやげやホテル、アクセスのご紹介もあります。
1.東大寺南大門
東大寺南大門(なんだいもん)は、東大寺の正門であり、重要文化財に指定されている国宝建築物の一つです。
東大寺見どころの第一番目は東大寺南大門からスタートです。
東大寺南大門
東大寺南大門の概要
東大寺南大門は、〒630-8211 奈良県奈良市雑司町(ぞうしちょう)にある東大寺の正門で、東大寺に入る前に通る大きな門です。
奈良時代の752年に聖武天皇の命により建てられたのですが、最初の門は平安時代に平家の南都焼き討ちで東大寺とともに焼失。
東大寺観光のために知るべき東大寺の歴史はこちら>>>
現在の南大門(国宝)は、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が、中国(宋)の建築様式を導入して鎌倉時代の1203年に作らせたもので我が国最大の寺院門とされています。
南大門には、立派な木彫りの金剛力士像が2体あり、その迫力と美しさが観光客に大変人気です。
また、南大門からは、東大寺の境内や周辺地域を一望することができます。
東大寺南大門は明治30年(1897年) 重要文化財に、昭和26年(1951年)国宝に指定されました。
東大寺南大門の大きさや構造
南大門は、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)で、高さ25メートルの木造建築物です。
しかし、南大門の幅と奥行きは、調べてもはっきりしたデータがなく、幅はだいたい28~29m、奥行きは10~21mと記載されている場合が多いです。
18本の太い柱を多くの横木が貫通する大仏様(だいぶつよう)という構造で作られているため
高い耐震性を備えていることが、東大寺南大門の最大の特徴。
18本の太い柱は直径約1m、長さ21mもあり、山口県から切り出した木材とのこと。運ぶのが大変だったでしょうね。
数十年前、新婚旅行で東大寺を訪れたとき、南大門の大きさに圧倒されたこと、柱の太さに驚いたことを思いだします。
そして何と言っても南大門の見どころは南大門と同時に再建された一対の木造の金剛力士像(国宝)です。
南大門の見どころは金剛力士像
奈良時代の金剛力士像は安時代に南大門と同時に焼失し、現在の金剛力士像(国宝)は、鎌倉時代に南大門と同時に再建されたもの。
向かって左側の口を開けた阿形(あぎょう)像
向かって右側の口を閉じた吽形(うんぎょう)像
金剛力士像2体は、南大門に向かって左側に口を開けた阿形(あぎょう)像、右側に口を閉じた吽形(うんぎょう)像が向かい合って安置されています。
これは一般の配置とは逆だそうですが、理由はよくわからず、再建される以前の奈良時代の像も逆だったとのこと。
阿形は843cm、吽形は836cmの高さの巨大な木造仏で、3000もの部材を組み合わせた寄木造りの工法でつくられている。
胎内の納入経などから、鎌倉時代の仏師により、2か月余りの驚異的なスピードで再建されたことが確認されました。
そして、金剛力士像の作者は運慶(うんけい)と快慶(かいけい)だと学校で習いましたが、
昭和から平成の金剛力士像解体修理時(1988~1991年)に像内から発見された多くの納入品や書物などから、新しい事実が判明しました。
それは大仏師運慶、快慶が小仏師を13名率いて造ったのは阿形像だけで、吽形像は大仏師定覚(じょうかく)と湛慶(たんけい)が小仏師12名とともに造ったということです。
びっくりしましたね。歴史は時々変えられます。
多くの寺院では金剛力士像を守り神として寺門の左右に置いているそうで、金剛力士像の阿形は世界の始まり、吽形は世界の終わりを表しているとされています。つまり世界の始まりから終わりまで守ってくれるということでしょう。
なお、国宝に指定されている日本国内の金剛力士像は
東大寺南大門、法華堂(三月堂)および興福寺にある3対のみとなっているそうですから、大事にしなければなりませんね。
金剛力士像の筋肉粒々の勇ましい姿は美しくさえあり、今でも目を閉じるとありありとまぶたに浮かびます。
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2.東大寺ミュージアム
東大寺2番目の見どころは東大寺ミュージアムです。
私たちが新婚旅行で行ったときにはまだ存在しない施設でしたから、東大寺ミュージアムを訪問できる人はうらやましいです。
次回はぜひ訪れたい施設です。
東大寺ミュージアム↑
東大寺ミュージアムは、奈良市水門町の東大寺総合文化センターにある展示施設で、東大寺南大門を入ってすぐ左側にあり、
2011年10月に東大寺学園中学校・高等学校の跡地に開館しました。
東大寺総合文化センターとして、東大寺図書館、金鐘会館、東大寺史研究所、華厳学研究所が併設されていて
ここでは、東大寺の歴史や仏教の歴史を学ぶことができます。
東大寺ミュージアムの見どころは
国宝・重要文化財に指定されているものも含め、東大寺の各お堂から集められた仏像や絵巻物など多数の文化財の展示物です。
主な国宝・重要文化財は、千手観音菩薩立像(重要文化財)、 伝日光・月光菩薩立像(国宝)、持国天立像・多聞天立像(重要文化財)、伎楽(ぎがく)面(重要文化財)などです。
本尊である大仏(盧舎那仏るしゃなぶつ)の両手の実物大のレプリカも重要な見どころです。
このレプリカを間近で見て、大仏の手の大きさや造形美に触れることで、大仏の大きさが実感できるようになっています。
両手の実物大のレプリカ
建物は貴重な展示物を守るため、約600平方メートルの展示室は免震構造(めんしんこうぞう)になっていて
かなり強い地震にも耐えられるように配慮されています。
第1室から第5室まで、部屋ごとにテーマに分けて見学する人に分かりやすくしています。
展示物は、最近日本語だけでなく英語にも対応していますが、まだ他の言語には対応していません。
多くの外国人にも見て欲しいですから多国言語にもはやく対応してもらいたいですね。
東大寺ミュージアムは大仏殿に行く前に見ることでより深く大仏のことを理解できると思われます。
東大寺ミュージアムの見学所要時間は約1時間~2時間30分。
東大寺ミュージアムは近鉄奈良駅から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車、徒歩5分。東大寺南大門を入ってすぐ左側にあります。
ミュージアムには駐車場がなく、春日大社前駐車場を利用することができます。奈良県営大仏(殿)前駐車場は現在一般車は駐車禁止ですからご注意ください。
東大寺ミュージアムショップ
総合文化センターに入るには入館料が必要ですが、ミュージアムショップと喫茶室には無料で入ることができ、
小さなレプリカやお土産を購入することができます。
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3.東大寺大仏殿
東大寺3番目の見どころは東大寺大仏殿です。
東大寺大仏殿↑
東大寺の大仏殿は、奈良県奈良市の東大寺にある仏堂で、
東大寺の本尊であり、奈良の大仏の名で知られている正式名廬舎那仏座像(るしゃなぶつ・ざぞう)を安置している建物です。
東大寺大仏殿の正式名は東大寺・金堂(とうだいじ こんどう)と言い、日本最古の木造建築物であり、世界遺産にも登録(1998年平成10年)されている重要な文化財です。
もちろん重要文化財(1898年明治31年)、国宝(1952年昭和27年)にも指定されています。
大仏殿の中央には高さ約15メートルの大仏が安置されており、その巨大な姿には圧倒されました。
東大寺の大仏殿の特徴
東大寺の大仏殿の特徴は、まずその巨大な規模にあります。
大仏殿の正面横幅は約57メートル、奥行きは約50メートルにも及び、高さは約49メートルあり、建物の規模だけでも圧倒されました。
しかし創建時(奈良時代)の大仏殿は正面横幅約88メートル、奥行き約52メートル、高さ約47メートルと全体的に現在より少し大きかったようです。
現在の大仏殿の大きさは、江戸時代の再建時と同じサイズで、奈良時代より正面横幅と奥行きが小さいけれど高さは高いです。
また、大仏殿は日本の伝統的な寺院建築の代表的なものであり、美しい彫刻や彩色が施された装飾も見どころです。
東大寺の大仏殿の特徴はもちろん大仏が安置されているのが最大の特徴ですが大仏については後ほど解説します。
東大寺大仏殿の歴史
東大寺の大仏殿は、奈良時代の天平時代(西暦752年)に聖武天皇の命により僧侶の行基(ぎょうき)の指揮で建造されました。
747年に起工され、5年後の752年に完成したとされますから、ずいぶん時間がかかったのですね。大仏の作成に時間がかかったようです。
大仏殿は、1180年(平安時代)の治承の兵火(南都焼き討ち)、
1567年(室町時代)の永禄の兵火(大仏殿の戦い)により2回焼失しましたが
1195年(鎌倉時代)には僧侶・重源(ちょうげん)により、
1709年(江戸時代)には僧侶・公慶(こうけい)らの働きによって、その都度再建されました。
その後、焼けることなく明治時代を迎えた大仏殿ですが、痛みが激しくなったので明治の大修理(1906~1912年)に鉄骨で補強するなどして修理を完成。
しかし、屋根の工事に問題があり、雨漏りがするようになったので
昭和の大修理(1973~1980年)を行って現在に至ります。
昭和の大修理では屋根を覆う13万枚の瓦(かわら)をふきかえるのに宮大工をはじめ延べ約10万人以上が関わったそうです。すごいですね。
東大寺大仏殿昭和大修理「総集編」
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東大寺大仏殿の見どころはもちろん大仏像
東大寺の大仏像は奈良の大仏と言われて親しまれていますが、
正式名称は廬舎那仏(るしゃなぶつ)で奈良天平時代の743年に聖武天皇によって発願され、747年に鋳造開始、749年に完成、752年に開眼供養されました。
廬舎那(るしゃな)とは、サンスクリット語で「輝きわたる」という意味です。
奈良の大仏廬舎那仏(るしゃなぶつ)↑
仏教に深く帰依した聖武天皇が仏法の加護のもとに国家の平穏無事と民衆の幸せを願って作られたそうで、国民の協力が大きな力となって完成したとされています。
大仏像の大きさは高さ約15メートル、重さが約250~260トンもある世界最大の青銅製鋳物です。
表面には金箔が貼られ、細かい彫刻や装飾が施されていたそうですが、私たちが見たときは、写真のように黒くてとても金メッキされているようには思えませんでした。
最初の大仏殿の建設は大仏の鋳造が終わった752年(奈良時代天平勝宝4年)後に始まり、758年(奈良時代の天平宝字2年)に完成。
大仏ができてから入れ物の大仏殿が作られたとは不思議ですね。
大仏殿の屋根ができるまで大仏像は雨ざらしだったことになります。
大仏は戦火によって2度燃えていてそのたびに修復されており、奈良時代から残っているのは大仏の腹部から脚と台座のみとのこと。
東大寺大仏像の豆知識
●東大寺の大仏が座っている理由は
この大きさで立ち姿にすると高さが50mにもなるので、当時の技術では無理だったため技術的に可能な座像(約16m)にしたそうです。
●東大寺大仏の頭のぶつぶつは何?
大仏の頭部にあるぶつぶつは「螺髪(らほつ)」と呼ばれます。 螺髪は、悟りを得た一つの特徴とされています。
●大仏の眉間のほくろは何?
これは、仏教用語で「白毫(びゃくごう)」と呼ばれ、 この白毫は「悟りの目印」とされ、限られた仏像のみにあるそうです。
●大仏殿の正面の燈篭は?
大仏殿に向かう広々とした参道(広場)の途中にある高さ4.6メートルものスケールを有する「金銅八角燈籠(こんどうはっかくとうろう)」は
観光客の多くは素通りしていってしまう存在ですが、その基本構造は奈良時代の創建当初から残され続けている大変貴重な存在として国宝に指定されています。
東大寺の大仏殿を見学するのに必要な時間は、1時間~2時間程度です。大仏殿だけでなく、周辺のお寺や建造物も見学する場合は、それ以上の時間がかかるでしょう。
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4.二月堂
東大寺二月堂↑
東大寺の北東部にある国宝の仏堂「二月堂」は、全国的に有名な火の粉を散らす「お水取り」の場所で、大仏殿に次ぐ人気スポットです。
旧暦の2月に行われるお水取りにちなんで「二月堂」と呼ばれています。
堂内には秘仏とされる2体の大観音、小観音と言われる十一面観音像が安置されていると言われていますが、絶対的な秘仏とされており、その姿を一般人が目にすることは出来ません。
唯一見学可能なのは、東大寺ミュージアムにおいて十一面観音像の光背(こうはい)だけです。光背(こうはい)とは仏像の後ろにつける後光(ごこう)のことです。
二月堂はいつ誰によって何のために建てられたのか
東大寺二月堂は聖武天皇の命により、大仏開眼の大供養が行なわれた奈良時代の752(天平勝宝4)年に大仏殿と同時に建てられました。
東大寺の建設を聖武天皇に強く勧めた僧侶・良弁(ろうべん) の弟子実忠(じっちゅう)が創建したとされています。
二月堂を建てた理由は、
大仏開眼の年に実忠和尚(じっちゅうおしょう)によって始められた『修二会(しゅにえ)』は二月堂本尊の十一面観音に向かって、僧侶たちが世の中の罪や穢(けがれ)を一身に背負って、人々が犯した罪を懺悔(ざんげ)し悔い改めると共に、天下泰平・五穀豊穣・万民豊楽などを祈るという会で、修二会のためにわざわざ造られた施設が二月堂です。
東大寺観光のために知るべき東大寺の歴史はこちら>>>
二月堂の建築様式
東大寺二月堂は、山麓に位置しており、市街地を眺めることができます。
斜面に突き出した独特の建築様式は、懸造(かけづくり)と呼ばれ、二月堂のほか、清水寺、石山寺、長谷寺にも見られ、
観音様を本尊とする寺院に共通して見られる様式です。
清水寺(きよみずでら)の懸造はテレビでも度々見られますね。
二月堂の内部は一般の観光客は入れず、選ばれた修行僧「練行衆(れんぎょうしゅう)が祈祷などを行っています。
二月堂の大きさは 奥行:約18メートル 横幅:約12.5メートル です。
二月堂の「お水取り」について
「お水取り」と呼ばれる行事が二月堂を象徴する存在で、正式には「修二会(しゅにえ)」と呼ばれます。
修二会は、練行衆(れんぎょうしゅう)という選抜された11名の僧が執り行う法要が主な内容です。
一般的に有名なのは、3月(旧暦2月)に行われる「おたいまつ」で、松明(たいまつ)から火の粉を散らす儀式や、二月堂前にある井戸、若狭井から水を汲み、十一面観音に捧げる儀式です。
天平勝宝4(752)年に始まってから1回も途絶えることなく続き、今年でなんと、1272回目を数えます。
本行は3月1日(水)~14日(火)までの2週間。「お水取り」は12~13日の深夜に行われ、「お松明」は二月堂の舞台に毎晩あがります。
結局二月堂は外から見るしかなく、「お水取り」の行事も非常に混雑して当日は人数制限されますので、見れるとは限りませんからご注意くださいね。
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5.法華堂(三月堂)
東大寺法華堂(三月堂)↑
東大寺法華堂は、奈良時代の天平5年(733年)頃に建てられた仏堂で、国宝に指定されています。
東大寺境内で最も古い建物の一つであり、大仏開眼の時期よりもさらに古い、東大寺の前身である金鐘寺(きんしょうじ)時代に建てられたそうです。
法華堂(三月堂)は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を本尊として祀るための仏堂で、かつては羂索堂(けんさくどう)と呼ばれていたとされています。
法華堂(三月堂)は、東大寺境内の主要な仏堂の一つであり、戦乱等で多くの建築物が焼失した中でも残り、東大寺唯一の奈良時代からの「仏堂」として、現在でも一部が当時の姿をとどめています。
旧暦3月に「法華会(ほっけえ)」が行われるようになってから、一般には「法華堂・三月堂」と呼ばれるようになりました。
法華堂(三月堂)の建物
法華堂は東大寺大仏殿東方の丘に、南を正面として建ち、正面手前に重要文化財の石灯籠があります。
平面規模は正面5間(約9.1m)・奥行8間(約14.5m)です。
奥行8間のうち、後方の4間分が本尊をはじめとする諸仏を安置する 正堂( しょうどう )、手前の2間分が 礼拝のための礼堂( らいどう )で中間の2間は両者をつなぐ部分です。
東大寺法華堂(三月堂)の西側↑
大仏殿方面から坂道を上ってくると、法華堂の正面ではなく西側面が目に入るので
建物の北側(画像左側)の、仏像が安置されている寄棟造の部分が正堂で、南側(画面右側)の入母屋造部分が礼堂になります。
法華堂は、建築当初は正堂と礼堂が隣り合う寄棟造りの「双堂(ならびどう)」形式でしたが、
鎌倉時代初頭に重源上人(ちょうげんしょうにん)により礼堂が入母屋造りへ改築され、正堂と礼堂が一つの建物となりました。
よく見ると瓦の色が違う事がわかります。
現在も北側の正堂は奈良時代の建築様式を残しており、奈良時代の痕跡を残す建物です。
時代を超えた建築の融合は美しい調和を感じさせるものであるとされています。
法華堂(三月堂)に安置されている仏像
法華堂(三月堂)には、奈良時代から安置されている仏像が多数ありますが、改修のため一部は東大寺ミュージアムに移されました。
現在は、本尊である不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつざぞう)、梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしゃくてん)、
金剛力士(こんごうりきし)、四天王、執金剛神像(しっこんごうしんぞう)などの仏像が安置され、
以前法華堂に安置されていた日光・月光菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王の仏像は東大寺ミュージアムに安置されていますが、すべて国宝です。
本尊の不空羂索観音菩薩立像は金箔が美しい3メートル60センチの巨大な仏像です。
金剛力士像は、南大門の裸の像とは異なり、鎧を身に着ける姿が特徴的で、左側が阿形、右側が吽形となるように安置されているのは南大門と同じです。
四天王像は、高さ3メートルほどあり、彩色が一部残っています。
法華堂には、現在は公開されていない秘仏である「執金剛神像」もあります。
この像は、東大寺の前身寺院時代に初代別当・良弁(ろうべん)によって造立されたもので、彩色が良く残っているそうです。
以上のように、法華堂には多くの文化財が安置されており、「国宝の宝庫」として知られています。
法華堂の見学所要時間は仏像に対する興味の深さによりますが、約
5~20分くらいです。
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6.鑑真和上ゆかりの「戒壇堂」
東大寺戒壇堂↑
戒壇堂(かいだんどう)は、奈良時代の天平勝宝6年(754)に、失明するなどの苦労を重ねて唐から来日した僧侶の鑑真上人(がんじんしょうにん)が、正しいお経の教えを伝えるための場所として作られました。
鑑真上人が来日のおり、聖武天皇や孝謙天皇が仏教の教えを守る誓い(受戒)をされた大仏殿前の土壇(お経を読むための土の台)をこの地に移して戒壇堂を築いたとされています。
その後、多くの僧侶がここで修行をして、日本中にお経の教えを広めていきました。
戒壇堂は平安時代の治承4年(1181年)の兵火(南都焼き討ち)で全焼、重源上人・西迎上人が復興した鎌倉時代の戒壇院も
室町時代の文安3年(1446)に失火で炎上し、
現在は江戸時代に再建された千手堂・戒壇堂(県指定重要文化財)・庫裏(くり)が残っています。
東大寺観光のために知るべき東大寺の歴史はこちら>>>
※2020年7月1日以降は、改修のため戒壇堂は3年間程拝観不可となっています。2023年夏から秋ごろ再開予定とのこと。
※閉鎖中は、四天王立像が東大寺ミュージアムで拝観可能な他、
隣接する千手堂が特別に公開されています。
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7.東大寺観光のランチとお土産について
東大寺周辺には、和食や洋食など様々なジャンルのおいしい飲食店があり、ご自分の好みに合わせてランチを楽しむことができます。
また、東大寺の境内には、お弁当を食べることができるスペースもあります。
東大寺近辺でランチができるお店
東大寺近辺でランチができるお店を二つご紹介します。
1.東大寺絵馬堂茶屋:東大寺の境内にあるうどん屋さんです。
シンプルなうどんや天ぷらなどが楽しめます。
500円/日の駐車場もありますからマイカーの人には便利ですね。
2.幡・INOUE 夢風ひろば東大寺店:東大寺の南大門の近くにあるカフェです。カラダに優しいカフェごはんが食べられ、奈良のお土産が買えます。
東大寺観光のお土産
私の一番のお気に入りは「鹿もなか」です。
送料無料なので電車の場合は楽天で購入して好きな時に配達して
もらえば便利ですね。
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東大寺内のお土産店は、大仏殿と東大寺ミュージアムにあります。
お菓子類の他は、お守りやファイル、仏像などが人気です。
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8.東大寺近辺の宿泊施設ランキング
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9.東大寺のアクセスと拝観可能時刻や拝観料は
東大寺へのアクセスについて
●電車とバスがおすすめ
① JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス「東大寺大仏殿・春日大社前」下車徒歩5分
② 近鉄奈良駅から、ぐるっとバス(大宮通ルート・奈良公園ルート)「大仏殿前駐車場」下車すぐ
●電車と徒歩の場合
近鉄奈良駅から北東に徒歩約20~30分
●お車の場合
車の場合は、阪奈道路や名阪国道などを利用して奈良市内に入りますが、東大寺周辺は交通規制が多く、駐車場も少ないので注意が必要です。
東大寺には専用の駐車場はありませんが、近隣に有料駐車場がいくつかあります。安い駐車場としては、東大寺南大門前の「南大門パーキング」が500円/日とお得です。
奈良公園にある「大仏殿前駐車場(県営)」は現在、特殊の車以外の一般乗用車の受け入れを廃止していますのでご注意ください。
春・秋の観光シーズンの土日祝には、県より観光無料駐車場が開設され、駐車場からは「ぐるっとバス(運賃100円)」が便利です。
●バイクや自転車でお越しの場合
バイク・自転車でお越しの際は、必ず南大門南西に位置する駐輪場に駐車してからご参拝ください。
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10.まとめ
東大寺は、世界的にも有名な仏教寺院であり、日本人のみならず多くの外国の観光客もが訪れる場所です。
東大寺には、古代日本の歴史や文化が凝縮された数々の建物があります。
南大門から始まり、大仏殿、二月堂、法華堂、鑑真和上ゆかりの「戒壇堂」などの建物には、それぞれに独特な魅力と歴史があり、
管理人が感じた東大寺の見どころとしてご紹介しました。
また、東大寺ミュージアムでは、東大寺の歴史や文化財を展示しているため、東大寺をより深く知ることができるでしょう。
管理人が新婚旅行で行った時には存在していなかったのが残念です。
また、東大寺周辺には、おいしい飲食店やお土産店がたくさんあります。時間がなくて食べられなかったのも残念です。
東大寺を訪れるなら時間に余裕をもって、奈良の歴史と文化を満喫しましょう。
簡単にご紹介したつもりですが、調べるうちに詳しくなったかも知れません。それだけ東大寺は見る価値があるということです。
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